本当に貧乏なのか
口を開けば財布の寂しさを嘆く私たちですが、
先日、いつものサイゼリヤでとなりの席が高校生でした。
女子が2人、男子が1人。
ふと彼らのテーブルを見ると、
並んでいるのは、それぞれドリア、ドリア、タラコのスパゲティ。
そして飲んでいるのはセルフサービスのお水です。
楽しそうに話に花を咲かす3人、
彼らの支払いはそれぞれ、299円、299円、399円です。
のどが渇けばドリンクバーへ向かい水のおかわり。
私たちはと言えば、パスタの他にドリア、フォカッチャ、
そしてドリンクバーを頼んでいます(↑上記写真)
なんという贅沢。
お金がないと言いながら、なんだかんだ食べているではないか。
不意に、本当にお金がなかった時代を思い出しました。
彼らの年頃には私たちも同じような感じでしたし、
しかしお金がないのが当たり前、当たり前すぎてなんとも思わなかった。
大人になれば、働きはするがそのぶん支出も増え、
貧乏であることは確かだが、ドリンクバーを注文できる生活はしているのだ。
駅の立ち食い蕎麦ですら、お金がないので天ぷら蕎麦にするか、
ただのかけ蕎麦にするか悩んだあの頃。
今は健康が気になって天ぷら蕎麦にするか、かけ蕎麦にするか迷ってる。
いろいろな想いが交錯し、
昼下がりのファミレスで感極まって涙する私たちオッサン2人なのでした。