むき出しの愛をくれ!


先日、誰も得しないし、誰も損もしない動画の撮影中、
ワタクシは激しく虚しさを感じていた。

毎日暑いし、街では半裸同然の女人が闊歩しているじゃないか。
こんなおっさんとワタクシは一体何をしているんだ?
虚しさを通り越してあまつさえ怒りが出そうになったのでここは一つ朋輩のフーコーに
「ワタクシには今、むき出しの愛が足りていないんだ。
一つワタクシにむき出しの愛を見せてくれないか?」
と頼んだところ、↑↑のような感じになりました。

なるほど!一見するとこう誰かを求めているような、男の哀愁が出ている。
表情もなかなか良い。でも何かが足りない…
愛は与えられるものだけじゃなく、与えるのも愛だと思う。

だからワタクシは
「そのむきだし感、良いとは思うが正解ではない。愛には与えられる愛と与える愛がある
それはいかにも与えられたい愛だ。与える愛を表現してくれ」
と頼むと↓↓の感じに

何だよ、それ?
ワタクシは一体どの辺りが与える愛なんだよ?と聞いてみると
「ここのここいら辺がさぁ」
ここいら辺じゃわからねーし!
胸か?ビーチクか?そこも分からん。
胸のそういう聖母的な膨らみがある種の母性的な与える感が云いたいのか、
それとも口の微妙なニュアンスが受け入れる的なことなのか?
解せない。ゲセないんだよ、フーコー。
むき出してくれ!
そして、ワタクシを、イヤ、俺をむき出しにしてくれ!