よろしく哀愁


先日、誰もが得もなく、誰もが損もしない動画の撮影の時だった。
まだまだ残暑も厳しく、街には半裸の女人が闊歩し、短い短パンみてーなもんを
申し訳なさそうに穿いている女子がいるのに何ゆえワタクシはこのおっさんと
二人で休日の川原で家庭用のカメラで撮影しているのだろうと
焦燥感にも似た、憤りを感じていた。

遠くで家族連れがラジコン飛行機を飛ばしながら、遊んでいる。
ベンチでは妊婦が旦那にお腹をさすってもらい、早く生まれる新しい命を待ちわびている。

我々は一体何をしているのか?
そしてどこに向かうのか?

そんな疑問やら欺瞞やらが頭を駆け巡り、朋輩のフーコーに
ダビ「せめて悲哀に似た、哀愁のある背中を見せてくれ。
哀愁でも我々に伴わないとこのご時世やっていけん。」
と哀願した。
例えくだらない撮影をしていても、家族連れや新婚さんに
「あの人たちも苦労してるんだろうなぁ」
と思わせる哀愁のある背中さえあれば、何とか色々誤魔化せるんじゃないかと。

早速フーコーの背後に回り、背中を写してみると↑↑のような感じに。

ダ「う〜ん。まぁ何か一応は哀愁が出てる気がする」
得心し、今度はワタクシの背中の番になったが
フ「頭、ハゲてるから写すのはしのびない」
と云われてしまった。

だので何も心配しなくてもワタクシなんかは頭さえ出しておけば
「あの人は哀愁のある頭なんだ。色々あるよね」
と世間の人は思ってくれるに違いない。
それは誤魔化すと云う言葉がいらないくらいに哀愁に満ちた頭なのかも知れない。

よろしく哀愁。

二人で背中と頭で哀(愛)を育てよう。