遺影の試し撮り
夜遅くのジョナサンにて、ダビデ氏と死についての哲学的考察を
交わしておりましたら突然、
遺影にするならどんな写真か。という話になりまして。
さっそく撮影。
ダビデは↑のようになりました。
普段カメラを向ける時とは違う、よい表情をしております。
この笑顔がまた涙を誘いますよ、きっと。
ところで、使うのは顔部分だけで、
そのピースはないよな?
と確認しましたら、
「いや、ピースまで入れてくれ」と。
遺影でピースしてるのは見たことありませんが、
うーむ。どうなんだろう。
と腕を組んでいたら、
「遺影でイエーイ。
お別れの言葉の時、そう言ってくれ、フーコー」
なるほど。
死ぬその時まで、目先の笑いを取りにいく。
わたし(フーコー)も棺桶に入るその瞬間まで、
バカをやりたいと思っている点では一致しているので、
それは賛成だ。
しかし、そんなダジャレでいいのか。
さんざんおバカな撮影をしてきて最後のバカが、
ダジャレでいいのか。
そう思うと、辞世の句ならぬ、辞世のバカを考えて夜中の2時までジョナサンです。