食事の格差
ジョナサンにて、若鶏のみぞれ煮を食しながら
となりが気になってしかたないダビデ氏(↑写真)
いったいどうしたのか尋ねると
「先日、ノンジ先生とステーキを食べたことは話したな。
高いステーキをご馳走してもらったんだ。
なのに今日は貴様と若鶏のみぞれ煮だ。なぜだ」
なるほど、となりの客はステーキを食べている。
私は健康的に豆腐ハンバーグ(↑写真手前)ダビデ氏が若鶏のみぞれ煮、
これは確か前にもあった注文で、いつもと変わりはない。
「むぐぅうう・・ステーキ」
などとうなりながら鶏肉に食らいつくダビデ氏。
ステーキがよほどおいしかったのだろう。
「ならダビデ氏。貴様も若鶏ではなくステーキを
頼めばよかったのに」
と水を向けると
「フーコーとではステーキという雰囲気ではない。
ノンジ先生はたらふく牛を食わせてくれた。
貴様といると、健康的だとか、財布の紐がとか
そんなことばかりで小さくまとまってしまう。
ステーキに臨むにはそれなりの心持ちが必要なのだ」
それはしかたない。実際問題、その通りなのだから。
ノンジ先生とは、金銭的社会的に天と地の差がある。
なにしろ「お金があったら何をする?」と聞かれたら
「ステーキを食べる!」という世代なもんで、
我々にとってステーキとは豪華豪勢、キンピカに輝いてるものなのだ。