浮浪紳士

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高円寺駅の南口を出て、ロータリーに沿って歩くと角に「三丁目カフェ」なる喫茶店が二階にある。
そこを左に曲がって坂を下っていくと右手に古着屋などがある。
坂を下り進むと少し大きめの公園が出てくる。
僕はそこがお気に入りで、毎日のように通っていた。
大した広さではないし、日中は子連れでにぎわうし、夕方過ぎれば若者もたむろする。
ベンチに腰掛けながら、仕事のことや、、彼女のことを考えながら
飽きもせずにベンチに座ってボッーとしているのことが多い。

その日もいつものように用もないのに公園に行き、ベンチに座り取り留めもないことを考えたり
何も考えていなかったりすると、一つの公園の入り口からタキシードを着たおじさんが入ってきた。
手には紙袋をもち、靴はスニーカーのようなものを履いているらしい。
僕はとにかくそのおじさんが気になった。
おじさんは僕の対面の遠いベンチに腰掛、紙袋からパン的なもの(何分遠くてわからない)
出して口に含み始めた。
その挙動をみながら、この人は浮浪者なんだろうと見当をつけた。
しかし、何故浮浪者がタキシードを着込んでいるのだろう。

そのタキシードを売ったら金になるんじゃないのだろうか?

そういう疑念も浮かぶがもしかしたら、僕の目にはタキシードに見えるだけで
近くで見たら、色々な服や新聞紙などを着込みすぎて、タキシード風に見えてるだけかも知れない。
もしかしたら、裸にペンキでタキシードの絵を描いているだけかもしれない。
実は裸で街中を徘徊している、本当の意味でのあぶない人なのかも知れない。

でも、僕は彼が本物のタキシードを着ていて欲しいと思う。
浮浪紳士は実は結婚式から逃げ出してきて、そこから行く当てもなく浮浪者になり
その衣服のまま、街から街へと流れているのだ。

彼は山梨の結婚式場から逃げてきた。
結婚する気はなかったが親同士の付き合いの為に結婚せざるをえなかったのだ。
相手の女性は確かに聡明で美人だったが自己顕示力が強く、権力好きの金好きだった。
彼は出自は親が代々の地主で、親戚には政治家がいたりして、地元の有力者だった。
彼はそんな自分の生い立ちを恨み、何度も親に刃向かい、自分が目指す夢を夢想しながら
青春を過ごした。そのなかで彼が本当に愛すべき人をみつけることも出来たのだ。
彼は決めた。
親が決めた、鼻持ちなら無い女性と結婚するよりも、本当に愛した人と結婚しようと。
飼い殺されたフリをして親に従い、いざ結婚式を迎える。
そして、一世一代の結婚式での遁走劇を果たす。
迫り来る怒号。泣き叫ぶ婦人達。
それをお構いなしに、遁走につぐ遁走で、愛した女性の下へ。
彼はタキシード姿のまま彼女に「君と逃げたい!どこまでも」と伝えると
実はその女性も彼の金や家や権力が好きなだけだったのだ。
それを知らされた彼は悲憤し、記憶喪失になり、どこかへ消えてしまった。

そして何十年が過ぎ、この東京の高円寺の公園でその着の身着のままの姿で浮浪しているのだ。
僕はそんなことを考えながら、涙が止らなくなってきた。
彼に聞きたい。
貴方の人生は一体なんだったのだろうか?
それを聞ければ、僕が今現在悩むことに解決が見えてくるかも知れない。
僕は浮浪紳士に近づく、彼は僕が近づいてきたことに警戒し、食べていたパンを紙袋に隠した。
僕は手を前に差し出し、何も貴方に危害を加えないことを示した。
僕は問う。
「ぶしつけで申し訳ありません。そのタキシードはどうしたんですか?」
彼はまだ疑いの目を向けたまま僕に向かってはっきりと
「そこの古着屋のあんちゃんが呉れたんだ。でもブカブカだから他の服呉っていってんだ。
あんた、これが欲しいのか?」
良く見ると垢と埃や食べこぼしみたいなシミが付いている。
黒なのか赤茶なのか良く分からない色になっている。
僕は「すいません。なんか…すいません」
といいながら公園を後に大急ぎで逃げ出した。

僕はそれ以来その公園には行ってない。
むしろ、3ヶ月後には高円寺からも離れ、今の住居に住んでいる。
誰かの結婚式に行くたびに、浮浪紳士のことを思い出し
何故だが涙が溢れてきてしまう。