自然な演技


自然な演技。
全国4千万の役者諸君は口をそろえてこう言う。

もちろん我々も、ヘルメットをかぶり黒タイツを履きながらも
自然な演技をしろ自然な演技をしろと、互いにののしりあう。
姿恰好が自然でないのにだ。

それほど「自然な演技」とは永遠のテーマだ。

先日もファミリーレストランでのミーティング中に
これについて喧々諤々の議論になった。

自然な演技とは何か。
思い悩むダビデ氏に対して、私は上記の写真↑を見せた。

「見よ、これが自分の大好物を目の前にした時の人の表情だ。
 口元の笑みを見ろ。このささやかながら、思わず漏れ出てしまったかすかな笑み、
 これができれば自然な演技、そのものじゃないか」

写真を見て開眼した様子のダビデ氏。
同じように再現してみるが、どうしてもやりすぎてしまう。
笑みが、わざとらしくなってしまうのだ。

「フーコーよ。手本を見せてくれないか」

即座にやってみる私。
しかしこれもわざとらしくなってるらしい。

「待てダビデ氏。今日頼んだこの「マグロのたたき丼膳」は
 実は私の大好物ではない。ホントの好物を目の前にしないと
 演技は難しい」

ダビデ氏「では、何がいいのだ」

私「そうだな、やはりサイゼリヤのディアボラ風ハンバーグだな。
  ここはジョナサンだ、残念ながら私の至極の演技は今日は無理だな」

ダビデ氏「そうか、それは残念だ。では次回、サイゼリヤで頼む」

私「お、おうよ」

私はなんとかこのピンチを乗りきり問題を先送りした。
しかし問題の先送りは今の日本と同じで、何もよいことはない。
むしろ事態の悪化を加速させるだけなのだ。

ダビデ氏が今日のことを忘れてくれるように祈ったジョナサンの午後2時。