大いなる待機



跳躍台なきわれらが永遠の助走。呼び出されることのなきこの大いなる待機
―筒井康隆「大いなる助走」

待機中にはたまに、
覗いてもらえることもあるが、
そこで愛想を振りまくでもなく、
少しでも気をひこうと着飾ってるわけでもなし。
となれば誰も足をとめることはないわけで、
果たしてこれが呼び出されるまでの待機なのか、
それとも待機そのものが我々の終着点なのか、
疑念に満ちた自問自答が渦を巻く。

となりを見れば、ゆらゆらと揺れながら笑顔で応え、
次々と呼び出されていく。
次から次へと要求に応え、
要望を叶えていくとなりにとって
待機は待機ではなく、
軽やかに次へ飛び移る滞空時間にすぎない。

狭い部屋にはヒマをつぶすためのおもちゃばかりが
積み重なっていく。
今となっては、呼び出されたところで何をするのかすら思い出せない。
ならばこの状況から落下してしまえばよいのに、
部屋から出る方法も忘れてしまった。

呼び出されず、自らの足でも跳躍できず。

部屋の外が宇宙であっても、きっと気づかない。

(写真は↑待機しすぎた成れの果て)