コーヒー

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コーヒーを飲みながら考える。
コーヒーの美味さは焙煎なのか産地なのかドリップの仕方が重要なのか。特に考えても答えは浮かびそうもない、そもそもそんなにコーヒーのこだわりのないワタクシだから、産地がどこであろうが焙煎の仕方がヨーロピアンだろうがアメリカンだろうがどっちでもいいし、何ならドリップだって機械がやったほうが今は美味しい場合もある。コーヒーの美味しさはその環境に付随することが多くて、どこぞのファーストフードで飲む一杯100円のコーヒーだろうが、コーヒーショップの180円~250円くらいのコーヒーだろうが、昔ながらの喫茶店のコーヒーだろうが、ファミレスのコーヒーだろうが、何となくコーヒー的幸せを感じることが出来るのだが、ワタクシは普段はバーでお昼の間だけコーヒーも出しますけど的なお店でハンドドリップされたコーヒーをいただいた。ケツの穴がむずがゆくなるが、ワタクシとしてはどうしてもコーヒーが飲みたくて入った店がたまたまそこだったということで、そこに大した理由はないのだが、ハンドドリップで飲んだそこのコーヒーは美味しく、なおかつ雰囲気も良くて人生について考えてしまうわけで。そう考えるとワタクシの人生なんてどうでもいいことの連続で、人に話せば嘲られような人生しか送ってないわけで、それがおしゃれなバーのカウンターで一人、鬱々とコーヒーを飲んでる姿はみすぼらしくて、痛痒でしかないわけだけど、痛みを抱えながら飲むコーヒーはきっとその辺の瀟洒なカフェで飲む何とかペチーノよりはまだましだなと、一人悦になりながら、今度はニヤニヤとバーのカウンターで思うのです。