自分を客観的に測ることを良しとする。


人は、自分の行いや振る舞いを客観的に見ることができなければいけない。

それでも、自分の気質や本能的な振る舞いはあり、それをまた客観的に批判して反省する。
それでも漏れ出してしまう行動、心情はあり、またもそれを反省し、批判する。
これを繰り返して、反省と気質のバランスをとり、なんとか冷静沈着な大人たりえるわけである。

そこで、我々を顧みるとどうだろう。
これだけ反省し、自己批判する我々は、東北復興予算を流用する公務員に怒り心頭、
恥を知らないその姿に正義の明かな欠落を確認し、歩道を爆走してお年寄りをかすめる自転車に憤怒し、自転車の時は車道を走ることを徹底する。

なのに、だ。
我々の生き様はまるでダメダメだ。これだけ反省し、客観的に批判しているのに、自らの気質が上回っているということか。

いかん、これではいかん。もっと反省せねば。

(↑写真は、反省し自らを猜疑する、とある日の根本氏)