春はまだかと君が言う

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毎年のように、加奈子は「春はまだ?」と僕に聞いてくる。
まだおぼつかない足取りでベランダに出ては寒々しそうに戸を開け、
マンションの向こうに見える桜の木を眺めている。
加奈子は4歳でおそらくはもう既に母親の存在というものがどういうものか分かっている。
僕の妻は病弱で今なお病院に入院している。
妻の母親が我が家に来てご飯などを不憫に思って作ってきてくれているが、
それも毎日というわけにもいかない。
僕自身も仕事があって夕飯の用意が出来ない時もあるので、
そういう場合は妻の病院に行き、病院の食堂で食べさせてもらうこともある。
不憫だという言葉で表すには加奈子に申し訳ないと思う。
それでも、僕は一緒にいれるときは最大限の愛情を持って接している。

それも、僕側の勝手な憶測にしかすぎず、毎日、普通に、
家族でいられるということが出来ない言い訳でしかないのだ。

それは気持ち良く晴れた3月での日曜日で、空は高く、雲はない。

テレビでは桜前線の上昇を告げ、
今週にも僕らが住んでいる地域にも桜の開花を予想させていたようだ。
「加奈子、花冷えって言葉があるんだよ」
「はなびえ?」
「そう、暖かくなってお花さんも、もう春だって咲くんだけど、また気温が下がってしまうんだ。
だから花冷えしないように神様にお祈りしたほうがいいね」
「そうなんだ。病院にも桜咲くかな?」
加奈子は晴れ渡った空を見ながらそんなこと言った。
「この分なら、今週中には咲くかもね。」
僕は大き目の鍋に油をしいて切ったじゃがいもと人参と玉ねぎを炒めようとしていた。
野菜の前に肉を焼くことをつい忘れ、野菜を半分入れたところで肉の存在に気づく。
いつも、僕は後で大事なことに気づく。
肉と野菜が心地よい音を立てて、キッチンの中にこだましている。
加奈子が何かを言ったみたいだが、炒めている音と換気扇の音で聞こえない。
こっちをみながら加奈子は何かを伝えているようだ。
僕はちょっと待ってとジェスチャーしながら、リズミカルに肉と野菜を炒める。
ひとしきり炒め終わり、加奈子に
「なんて言ったんだい?」と聞いてみると
「ううん、なんでもない」
と言うだけだった。
毎年、妻の病室から桜の木を見て、
そこに集まる人々のお花見の様子を見ているだけだった。
いつかは、3人でお花見を出来たらいいだろうなって思っている。

カレーが出来て、少し遅めの昼食になる。

二人でカレーとサラダを食べながら、午後は静かに過ぎていく。