老いての恋は沈みゆく難破船のごとく


『喫茶店で働く20代の女性店員に結婚を申し込む手紙を渡したところ、読まずに返されたことに腹を立て「ぶっ殺してやる」などと言って、女性を脅したとして、78歳の常連客の男が警視庁に逮捕されました。女性も自分に好意を持っていると思い込み、手紙を渡したということです』

ニュース映像を見た限りでは、ふつーの78歳でした。78歳にして20代の女性とどうにかなれたら、それは私にとってもかなりの勇気と希望になりますが、かなりの難題であることはなんの説明もいらないほど明白。それだけに、たとえ60歳近くも違う女性が自分のことを好きなんじゃないかと感じても、それは錯覚だと、まずは疑います。そんな馬鹿なと、一笑に付します。でももしかしたら、というのが無いといったら嘘になります。
女性が親しげに話してくれるのは常連客だからであってそれ以上でもそれ以下でもない、もしかしたらホントは嫌々なのかもしれない、もっと疑うならすべては店の売り上げのために、と考えての笑顔なのかもしれない。
通常ならそこに希望があるかもしれないのに、頭に浮かぶのは疑念や不信ばかり。結局「まさかそんな」という結論に至り、より慎重になる。年をとるとはそういうことなのだ。二十代だったらとっくに誘い出していたものを、見た目も何もすべて老いた現状では、一歩も前に出れない。まるで弱った足腰と同じく、まったく動きがとれない。
夢や希望は遠いほどまぶしく輝く。しかし少しそれに近づいたら、その煌々たる光に飲み込まれ我を見失う。
それでももしかしたら、というのが燃えかすのようにくすぶる老いらくの恋。
老いた先でその重い扉を開けることは不可能なのか。
(写真は本文となんら関係ございません)