父と息子とサイゼリヤ

サイゼリヤ、日曜の夜。
窓際の席に中学三年(理由もなく断定)の息子とワイシャツにネクタイ姿の父が向かい合わせに座って食事をしていました。
おそらくこの日は母親が同窓会で夜は父と息子ふたりだけで、ということなのだと妄想します。父の仕事帰りにこうしてサイゼリヤで外食なのだと想像します。
ふたりは特に会話をするでもなく黙々とハンバーグやら何やらを口に運んでいます。時折、父が何か声をかけますが、それは息子の日常を聞くのではなく、これ食べないのか、とか、それ取ってくれとか、いわば食事上の業務連絡みたいなこと。
息子は脇にあるスマホばかり見ていて父の問いかけにロクな返事をしません。思春期です。もしくは反抗期です。親離れが始まる時期です。息子から父に話しかけることはありません。父もそんな息子に慣れっこなのでしょう。何も気にしていません。年頃の息子とその父。絵にかいたような父と息子の光景です。
ですがしかし、ふたりともサイゼリヤ慣れしてるように見えます。おそらく父は父で昼食でよくサイゼリヤに行き、息子も友達とサイゼリヤに来ておしゃべりをしてるのでしょう。
ふたりの唯一の共通項であるサイゼリヤ。今日の夕飯どうする?ってなった時に、じゃあサイゼリヤで、と一致したそのこと自体に、何も会話しない父子のゆるやかな絆を感じます。