エアではない江戸前鮨~中野・峯八~

エアはエアであることに意味があるので、ホントに鮨屋へ行ってはエアでなくなってしまう。丘サーファーが丘サーファーであるためには、海に入ってはいけないのだ。

とある金曜の夜。中野でその日を終えた私は、さてどこかのサイゼリヤでハンバーグでも食べて帰ろうかと思案していたら、
ふと「最高に旨い寿司」で観た峯八という寿司屋が中野にあることを思い出した。
70近い寿司屋が登場した中で、親方の人柄に一番魅かれたのが峯八。中野駅からも近いのでどんなお店なのか、店構えだけでも見て帰ろうとちょっと寄り道することにしました。

ビルの地下1階。和食屋さんやらパスタ屋さんやらが並ぶ一角に峯八はありました。店の前には品書きが置いてあって金額も明記されおり明朗会計。引き戸が少し開いていて店内が見えたのですが、あの、テレビで観た親方がカウンターの椅子に座ってくつろいでいました。
客はいない様子。もちろんエアなので入店することはありません。このまま帰るつもりで翻り、上り階段の前に来たところでふと足を止めました。

入ってみるか?

思いもよらない誘惑が頭をもたげます。
しかし今入ると親方と1対1になってしまう。ふたりきりで向い合って寿司を食べる勇気などない。他に多少客がいたほうが、親方の接客も分散されるのに。しかしこの店に魅かれたのは鮨ももちろんだが親方の人柄だ。私しかいないなら、独り占めできるとも言える。
そして財布の中身を確認。お酒も飲まないし、なんとかいけそうだ。おいおいホントに入るつもりなのか自分。これじゃエア寿司を名乗れなくなってしまうぞ。不毛な、あまりに不毛な自問自答をどれくらい繰り返しただろう、ついに、入店することに決めたのでした。

すでに少し開いている扉を開けながら
「ひとりですけど、いいですか?」
すると
「はい、どうぞ」
と、快く受け入れてくれた。
カウンター席の端のほうへ行こうとすると、
「こちらへどうぞ」
と、ど真ん中の席を指さした。
あぁ、これで親方と真正面から向き合うことになる。

いったん腰をおろすも、入口の扉が閉まりきってないのに気づき、戸まで行き手をかけた。
すると
「少し開けといてくれる?空調が壊れて開けとかないと暑いんで」

確かに、店内はムッとした暑さに包まれている。

奥から女性(奥さん?ネット上の噂ではお姉さんともあったが)がメニューとお茶を持ってきてくれた。3つ書かれたおまかせの中から9貫のを注文。

店の中を見渡す。
カウンターの反対側はこあがりの桟敷席になっているが、荷物が置かれていて、席としては使われていない模様。全体的にも雑然とした感じだ。

準備を始めた親方、奥にいる女性に
「器持って来いって言ってんだろーが」
と、きつい感じで言う。でも言葉づらほどキツく感じない、その理由はあとで分かる。

握り始める前にまずは
「うちは江戸前なんで、シャリに砂糖は使ってません。赤酢と塩だけ」
との口上から。
「はい、好きです、砂糖入ってないほうが」
と血迷ったように意味不明な返答をする私。
「それはどうかねぇ、好みだから」
と、こちらを見透かしたように答える親方。

1貫目は昆布締め。よく〆たものか、浅いものがいいか聞かれ、よく〆たものと答える。
「ホントは浅いほうが鮨に向いてんるんだよ、よく〆たのはつまみ用だな」
とのこと。口に入れると何か香りがする。これは桜の葉の香りだと教えてくれた。

1対1のふたりだけの空間だが、自分からは下手に話しかけないことに決めていた。もともと初対面でよく話せるタイプではないし、ましてや寿司のことなど話せるはずもない。沈黙は恐れない。でも思ったより親方のほうからいろいろと話しかけてくれた。
「さっき一度のぞいたでしょ」
「えぇ、はい、どこにしようか一通り見てやっぱり寿司にしようと思って。。」
と軽く嘘をつく。最初からこの店しか見てないのに。

「のぞきは高いよ」

ザ・東京の人だ、この人は。テレビで観た時もそう感じていたが、実際に人柄に触れてみて確信。口は悪いが人はいい。まさにそのものだ。こういう感じはなぜかホッとする。口の悪さを真に受けて気分を害する人がいるなら、それはどっかの田舎もんだろう。ホントはこちらも粋な返しが出来ればいいのだが、私も田舎もんなもんでハハハと笑うしかない。

それにしても体の調子が良くなさそうだ。手をついたり、どこかによっかかってないと立ってるのも辛そう。そして店の奥へ声を飛ばす
「座れっていってるだろ、いいから座れ」
またキツイ言い方で女性に言葉を投げつける。
すると女性が私の右にある暖簾の向こうに表れた。
どうやら足が悪いらしい。足を少しひきづるようにして腰をかけた。暖簾の向こうとはいえ、そこに座ると客の視線に入るから気を使って店の奥に引っ込んでたのだろう。
それよりも、彼女の体を気遣う親方。荒っぽいけどね、これが優しさの表現なんです。

1貫1貫、産地を言いながら出してくれる親方。魚や仕事にこだわってるのが伝わってきます。
蒸し蒸しした店内という決して好条件でいただく寿司とは言えないながら、全部美味しい。美味しかったりそうでもなかったりするのが混在するのでなく、すべてが美味しい。
「以上になります」
と終了を告げられて、そのへんのところを上手く伝えたいのだけど言葉が出ず、
「美味しかったです」
くらいのことしか言えなかった。

「また、来ます」
と言うと
「そう言ってホントに来る人はいないんだよねぇ」

最後まで親方節炸裂。

いやホントにまた来たいです、しかもなんとなく、近いうちに早く来なければ、と思う。ふたりだけで切り盛りする店、親方の体調とかいろいろ鑑みると、なるべく早く、そしてなるべく多く来なければと焦りすら感じる。だけどそれは財布との相談。
もっと早く来ればよかったなぁという後悔や、あの空調は直るのかな、とかいろいろと頭の中うずまきながら中野をあとにしたのでした。

(写真は↑BS12「最高に旨い寿司」から拝借。写真を撮るなんてこれぽちも思いつかなかったもんで)